「ディスクールとエリクチュール」
投稿 鈴木秀則 : 08/01/10 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»
ディスクールとはフランス語で「話し言葉」、エリクチュールとは「書き言葉」のことです。
「同じコトバでしょ?」と思いがちですが、現代思想では、この二つの違いはディスクールが対話の相手(特定者)、エリクチュールが記述の相手(不特定者)、と行為の対象が異なります。
さらに、フランスの思想家ミシェル・フーコーは、特に話し言葉である「ディスクール(言説)」を単なる言語表現ではなく、話者の意思を実行するための「行為」と捉えます。何かを「話す」ということは、意図されるかどうかにかかわらず、他者に影響を及ぼす「行為」となるわけです。
よく会議で具体的な提案について議論をしているとき、(1)提案に対する対案なしに、提案内容を原則論、一般論の視点(つまり、提案が巻き込まれている具体的な状況に対する考慮なしに)から評論をしたり、(2)提案についての決断を作ることから無関係の知識、情報のひけらかしになってしまうことがあります。
このとき、発言者はフーコーの定義する「ディスクール(言説)」の意味を深くかみしめるべきだと僕は思います。つまり、
(A)関係性の外で状況を眺める傍観者としての「評論」なのか。
(B)関係性の中に投げ込まれた主体者としての「行為」なのか。
会議の参加者でありながら、(A)の立場をとるならば、会議の文脈(コンテクスト)から離れ、また、会議の文脈を混乱させ、さらには、その行為をもって提案者の生産価値を下げてしまう(自分の評論家としての価値を確保するために)というネガティブな効果を生じてしまいます。
「すごい会議」など会議のマニュアル本ではよく提案に対する対案を含まない単なる原則論、一般論、評論を会議から排除しようとします。この背景にはフーコーらの言説は行為である、という認識。そして、行為である以上、言説は会議全体の価値の生産に寄与しなければならない、というモラルが含まれているのだ、と思います。
でも、まあ、会議とは全員がフィールドプレイヤーになるゲームのようなもの。ゲーム中にあれこれ批評するよりも、プレーに加わってゲームを楽しむものですよね(^-^)。
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